今川、徳川、武田と幾度ともなく攻められ
各大名にとっての要所となっていた長篠城。
最終的に徳川配下になりますが、それまでの道のりは厳しいものでした。
城主、奥平信昌のピンチを救った足軽、鳥居強右門の話と共に
長篠城の歴史に触れてみましょう!
城報
■1508年
■遺構:空堀、土塁、石垣
■築城主:菅沼元成
■交通:JR飯田線長篠城駅で下車、徒歩約8分
*難易度【中】駅からは近いですが、飯田線の本数が少ないので計画的に!
■ボランティアガイド:無
■スタンプ設置場所:長篠城址史跡保存館2階受付
入館時間外や休館日の対応については入口門扉に掲示
忠誠を貫いた足軽、鳥居強右門(トリイスネエモン)
長篠城址史跡保存館へ行くとこのような磔にされた人を目にします。
これは、鳥居強右門という日本一有名な足軽です。
城主、奥平信昌が武田勝頼に城を包囲されピンチの時に
徳川家康、織田信長に援助を求めるため死を覚悟して岡崎城まで行きました。
ちょうど援軍を用意していたことを知った鳥居は急いで長篠城へ。
しかし、武田軍に見つかります。
援軍は来ないから開城するよう言えと武田勝頼に命令され
長篠城の西岸の見通しのきく場所へ。
「2,3日で援軍はくるから持ちこたえるように!」
死を覚悟していた鳥居は最後まで奥平家に忠誠を貫き
武田勝頼の怒りをかった鳥居強右門は殺されました。
この忠義は様々な人の心に残り、敵軍武田軍の者の中には
鳥居強右門を旗印にするものまでいたそうです。
…と、ちょっと鳥居強右門だけで長くなってしまいましたね。
遺構としては空堀がきれいに残っているのでぜひ見ていただきたいです。
また、行きにくく大変ですが、二股にわかれた川が望める橋から
長篠城を眺めることもオススメします!
山に囲まれ、いろんな大名が配下に置きたかった城、長篠城。
ぜひ行ってみてください。
ひとこと
いやぁこの地は武田軍の気持ちになって遺構を周ることもできるので、
見るポイント、お伝えしたいポイントが多すぎます!
次回予告
火縄銃の使用で有名な長篠の戦いの地へ