吉備津彦は桃太郎?それとも温羅?吉備津神社へ行ってきた

岡山駅を降りると桃太郎の銅像がありますよね。

これは、桃太郎のモデルが吉備津彦であるという説があるからです。
そんな吉備津彦を訪ねるために吉備津神社へ行ってきました!

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吉備津神社

■ご祭神:大吉備津彦大神
◆拝観時間 6時~18時
◆アクセス
電車:JR吉備線「吉備津駅」~徒歩10分
車:山陽自動車道 吉備スマートIC(ETC車)~県道61号~R180号経由で約4km
岡山IC~R53号~R180号経由で約8km

本殿から南の本宮社をつなぐ回廊は400m近くあり、土地の勾配に沿っていて
美しい曲線とともに神秘的な回廊になっています。
この回廊は天正7年(1579年、安土桃山時代)に再建されたものだそうです。

温羅伝説

この吉備津神社と切っても切り離せないのが「温羅(うら)伝説」。
昔話・桃太郎のモデルとされる話です。
この温羅伝説を簡単に紹介しますと…
吉備津彦命とは第七代・孝霊天皇の皇子で、元の名前は彦五十狭芹彦(ひこいせさりひこ)命といいます。
四道将軍である彦五十狭芹彦命は第十代・崇神天皇の時代に、
吉備国を平定するため山陽道を進軍しました。
異国から来て乱暴を働き、民を苦しめていた温羅を激闘の末に捕え、この地に平和をもたらしました。
というものです。

戦う際に本陣を置いたのが現在の吉備津神社とされています。

この吉備津神社なのですが、御祭神の大吉備津彦命は、
実は温羅なのではないかとの説が存在しているそうです。
というのも温羅というのは、朝鮮半島の百済(くだら)国の皇子で、
この地に製鉄技術をもたらした人物と言われているのです。
吉備の人とも友好的で、次第に人望を集めていきましたが、
吉備国の製鉄技術を恐れた大和朝廷が吉備国に侵略。
温羅を捕縛・殺害したことによる民の不満を和らげるために、神として祀りました。
しかし事実を正当化するために、温羅を鬼のような悪者に仕立てあげたのだと…。

史実というのは勝者が内容を書き換え、正当化することが行われていたと言います。

因みに温羅は捕えられた後、首を刎ねられ曝されます。
この首ははねられてもなお唸り、大声を上げ続けるので、
犬に食わせたり釜殿の下に埋めましたが唸り声は止みません。
するとある日、温羅の怨霊が吉備津彦命に夢の中で
「私の首の上に祀る釜で供え用の食事を作るように。事が起きた時この竃の前に来れば、
幸あれば豊かに、災い有れば荒く鳴ろう」
と告げます。吉備津彦命が言われたとおりにすると、唸り声は止み、
これが鳴釜神事の起源となったそうです。

これらのお話から温羅が吉備津彦として祀られているのではという逸話が残っているそうです。

鳴釜殿では火にかけた釜の鳴る音で吉凶を占う、「鳴釜神事」が行われます。
これは釜の上にお米を入れたせいろを置き、蓋を乗せて釜を炊いたときに鳴る音の強弱、長短等で吉凶を占うもので
この釜の下には、大吉備津彦の命に征伐された温羅の首が埋められていて、この温羅が吉凶を告げていると言われています。
実際には、その釜の音色による吉凶は自分で判断しなければならないので
これが吉なのか凶なのかは自分ではよくわからないそうですよ!笑

■吉備津造

入母屋造の2棟を1棟に結合した形態の建築様式のことです。
建築的には珍しく、神社ではこの吉備津神社でのみ見られる形です。

■四道将軍

第十代・崇神天皇の時代に、諸国平定のために北陸へ大彦命、東海へ武渟川別、西海へ吉備津彦、丹波へ丹波道主命
の4将軍を派遣したと『日本書紀』に記されている4人の将軍のことです。
『古事記』にもこれに似た所伝があります。

そんな多くの逸話が残されている吉備津神社に足を運んでみてください。

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