飯盛山の支城であった三箇城へ行ってきた

飯盛山城の支城、三箇城(さんが)。
その存在は知られていますが、場所についてはまだまだ特定できていない
場所になります。
石碑が移された地に先日行ってきたのでご紹介します!

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城報

■築城??年(不明)
■遺構がなく場所も未確定
■築城主:??
■ボランティアガイド:無
■スタンプ設置場所:無

三箇城があったされる湖というのは、深野池(ふけのいけ)という大きな池。
江戸時代に大和川の付替が行われ、深野池はだんだん縮小し、
今ではふつうの池になってしまったそうです。

三箇サンチョこと三箇頼照等キリシタン洗礼を受けた者が多くいたことで知られています。
宣教師ルイス・フロイスの「日本史」に

「三ヶ殿はまだ異教徒であった折に、この湖の傍にすでに小さい寺院を建てていた。彼は(キリシタンとなると)さっそくそれを教会に変えた。しかしその後、三千名を越える家臣がキリシタンとなった時に、サンチョ〔彼にはこの教名が与えられた〕は、そこに司祭たちが(寝泊りできる)建物が付属した美しい教会を建てた。そしてこの三ヶ殿は、日本の教会が五畿内地方で有するもっとも堅固な柱の一となった。」

と記載があります。

三箇頼照の息子になった時代に明智光秀に味方になり、
明智が本能寺の変後秀吉に滅ぼされると
三箇は秀吉に領地などを没収され三箇頼照と息子は追放されることになり
教会も城も破壊されてしまいました。

石碑が置かれている三箇菅原神社

現在は三箇城の石碑がこちら三箇菅原神社にあります。

■交通:住道駅から徒歩20分
*難易度【低】駅から歩いて行きましたがGoogleMapにも城跡が記されているので不便さがなかったです!

菅原と言えばご存知、菅原道真様が祀られている神社であり
ここ神社に石碑があるのも何かの縁なんでしょうね。

まとめ

湖に浮かぶ教会があったとされる三箇城。
近年日本一古いキリシタンの墓石も周辺で発見されました。
きっと素敵な教会があったんでしょうね。

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